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形見 [生活]

母が亡くなった実感があまりなく、淡々としていた私ですが、
母が作っていた、折り紙のくず入れが、結構な枚数織りためてあり、
タンスから出てきたと姉が持ってきた。

初めて、形見 という実感が。

カタログを破って折ったらしい。

しっかりした紙質で折りやすかっただろう。

でも、

母は子供のころの目の病気が原因で、視力が弱く  私の結婚式に何とか出ることが
出来たくらいで弟の時には留守番だった。

目が悪いことで平衡感覚が悪いためか、
気持ちが悪くなるらしく病院にも行きたがらず、姉夫婦が四苦八苦で連れて行ってくれていた。

はたから見ていて見えないことは一見なのに、母は私が物覚え出来てからの記憶で、
一言も見えないと言ったことがない。
私たちも、周りの人も一言も「見えないのに」という言葉を母に使ったことがない。
いくら、よその子に生まれれば良かったなどと悪態ついても、それだけは言わなかった。

それで済んできていることがとても不思議ですが、本人が見えるふり(眼鏡の度が合わなくて見えにくいとかは言ってましたが)をしていることへの思いやりでした。
本当に、甘えず頑張ってました。
手を貸すときにもほかに理由を考えて、自然な体裁で手伝っていました。

だれもいないと思い、孫の写真を、少しでも明るいところへ行って目に当たるくらいにして、見ていました。
真っ暗では無かったと思いますが、まず見えてなかったでしょう。
同様、孫の顔を手で撫でまくって見てました^^
不思議と孫も嫌がらず撫でられてました^^

それでも、弟が結婚するまでは食事も作り、アイロンもかけ、良くひどいやけどしてました。
お嫁さんも目の事で母を諫めることはありませんでした、感謝です。

若いころは、母の姉妹は農家に嫁いだりしていますが、母は目が悪かったので農業は手伝わず、東京の学校に行かせてもらってました。そこで被服一般を習い、帰ってきてから保母ができたり、お弟子さんが来て、和裁や洋裁を教えていました。
若いころの写真は、伯母たちは着物姿ですが、母は白いワンピースにおしゃれなパーマをかけていました。
東京帰りな感じです。
母が作った服は斬新すぎて(ミニだったり、ちょっと凝っていたり)着るのが嫌でした。
農家に嫁いだ伯母たちは、そんな母がうらやましげでした。

多分、もう見えてないだろうと思われる頃でも、針を持っていました。長年の勘はすごいです。

そんな母が、どうやってこの折り紙を覚えたのか不思議でなりません。
もらったものを 解いては折りを繰り返して覚えたのか、きっちりと耳まで折ってあり、
未だぬくもりが残っています。

姉がもったいなくて使えんね、と言いました。
今までチラシで作ったのは使い捨てでしたが、、、、これ、、、捨てれない。

20150911_220256_resized.jpg

改めて、しんみりとした昨日でした。


コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

コメント 2

じょわがめ

私も去年の今頃やっていた、
母の遺品整理を思い出しました。
元気に旅行に行けていたころ、
出かけるたびに新しいバッグを買う人で、
かなりの数が出てきました。
どのバッグの中から、必ず出てきたものが、
ポケットティッシュと、ガーゼのハンカチ。
そういえば、母は昔から普通の綿のハンカチを持たず、
いつも、ガーゼのハンカチを持つ人だったなーっと。
父と「仕方ないなあー」といいつつも、
母らしいなーと、懐かしさ半分しんみり半分で、
整理しましたよ。
なんで、きれいな花柄のハンカチより
ガーゼのハンカチだったのか。
聞きたくても聞けなくなったことで、
改めて、母はいないんだなと思わずにはいられませんね。
くず入れ、大事になさってくださいね。
by じょわがめ (2015-09-13 17:38) 

ram

じょわがめさん、コメントありがとうございました。
大体が親不孝な娘だったので、今更ですが^^;
少しづつ寂しくなってきました。

by ram (2015-09-13 20:34) 

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形見 [生活]

母が亡くなった実感があまりなく、淡々としていた私ですが、
母が作っていた、折り紙のくず入れが、結構な枚数織りためてあり、
タンスから出てきたと姉が持ってきた。

初めて、形見 という実感が。

カタログを破って折ったらしい。

しっかりした紙質で折りやすかっただろう。

でも、

母は子供のころの目の病気が原因で、視力が弱く  私の結婚式に何とか出ることが
出来たくらいで弟の時には留守番だった。

目が悪いことで平衡感覚が悪いためか、
気持ちが悪くなるらしく病院にも行きたがらず、姉夫婦が四苦八苦で連れて行ってくれていた。

はたから見ていて見えないことは一見なのに、母は私が物覚え出来てからの記憶で、
一言も見えないと言ったことがない。
私たちも、周りの人も一言も「見えないのに」という言葉を母に使ったことがない。
いくら、よその子に生まれれば良かったなどと悪態ついても、それだけは言わなかった。

それで済んできていることがとても不思議ですが、本人が見えるふり(眼鏡の度が合わなくて見えにくいとかは言ってましたが)をしていることへの思いやりでした。
本当に、甘えず頑張ってました。
手を貸すときにもほかに理由を考えて、自然な体裁で手伝っていました。

だれもいないと思い、孫の写真を、少しでも明るいところへ行って目に当たるくらいにして、見ていました。
真っ暗では無かったと思いますが、まず見えてなかったでしょう。
同様、孫の顔を手で撫でまくって見てました^^
不思議と孫も嫌がらず撫でられてました^^

それでも、弟が結婚するまでは食事も作り、アイロンもかけ、良くひどいやけどしてました。
お嫁さんも目の事で母を諫めることはありませんでした、感謝です。

若いころは、母の姉妹は農家に嫁いだりしていますが、母は目が悪かったので農業は手伝わず、東京の学校に行かせてもらってました。そこで被服一般を習い、帰ってきてから保母ができたり、お弟子さんが来て、和裁や洋裁を教えていました。
若いころの写真は、伯母たちは着物姿ですが、母は白いワンピースにおしゃれなパーマをかけていました。
東京帰りな感じです。
母が作った服は斬新すぎて(ミニだったり、ちょっと凝っていたり)着るのが嫌でした。
農家に嫁いだ伯母たちは、そんな母がうらやましげでした。

多分、もう見えてないだろうと思われる頃でも、針を持っていました。長年の勘はすごいです。

そんな母が、どうやってこの折り紙を覚えたのか不思議でなりません。
もらったものを 解いては折りを繰り返して覚えたのか、きっちりと耳まで折ってあり、
未だぬくもりが残っています。

姉がもったいなくて使えんね、と言いました。
今までチラシで作ったのは使い捨てでしたが、、、、これ、、、捨てれない。

20150911_220256_resized.jpg

改めて、しんみりとした昨日でした。


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じょわがめ

私も去年の今頃やっていた、
母の遺品整理を思い出しました。
元気に旅行に行けていたころ、
出かけるたびに新しいバッグを買う人で、
かなりの数が出てきました。
どのバッグの中から、必ず出てきたものが、
ポケットティッシュと、ガーゼのハンカチ。
そういえば、母は昔から普通の綿のハンカチを持たず、
いつも、ガーゼのハンカチを持つ人だったなーっと。
父と「仕方ないなあー」といいつつも、
母らしいなーと、懐かしさ半分しんみり半分で、
整理しましたよ。
なんで、きれいな花柄のハンカチより
ガーゼのハンカチだったのか。
聞きたくても聞けなくなったことで、
改めて、母はいないんだなと思わずにはいられませんね。
くず入れ、大事になさってくださいね。
by じょわがめ (2015-09-13 17:38) 

ram

じょわがめさん、コメントありがとうございました。
大体が親不孝な娘だったので、今更ですが^^;
少しづつ寂しくなってきました。

by ram (2015-09-13 20:34) 

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